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アフリカの玄関口、タンジェを出発したバスは、ジブラルタル海峡に背を向けると、リフ山脈に向かってうねうねと続く道を、ゆっくりではあるが着実なペースで上り始めた。3年前の初夏に一度通った山道ではあるが、いま車窓に広がっている景色は、そのときとはまるで異なる表情を宿していた。乾ききっているという印象しかなかった大地が、いまは一面緑に包まれ、たおやかな雰囲気さえ湛えている。春先と初夏とでは、受ける印象がこんなにも違うものなのか。軽い戸惑いと新鮮な驚きを覚えながら、ガタガタ揺れる窓から、通り過ぎていく風景を眺め続けた。
1時間あまりすると、車窓の彼方に、白い塊のようなものがチラリと見えた。最初、それはバスの動きに応じて現れたり消えたりしていたが、近づくにつれ、フロントガラスの向こうにその姿を堂々と現し始めた。山肌にへばりつく白い家の群だった。3年前の記憶が蘇ってきた。ティトゥアンである。
バスはその白い街にぐんぐんと近づいていくと、街中のバスターミナルに入った。狭くて薄暗い構内では、大勢の乗客や物売りが行き交っている。3年前と変わらぬ見覚えある光景に、懐かしさと、未練と、決別を含んだ微妙な感慨が湧き上がってきた。
日本を出発する前のプランでは、このティトゥアンを最後にモロッコをあとにし、スペインへ渡ることになっていた。ティトゥアンを最後の街にしようと思ったのは、スペイン行きのフェリーが発着するタンジェに近いから、というのがひとつ。しかし、最大の理由は、モロッコを舞台にした映画『シェルタリング・スカイ』の中で最も印象に残っているシーンが、この街で撮影されたと知ったからである。
タンジェに上陸したばかりの主人公は、夕方、迷路のようなメディナを横切り、丘を懸命に登っていく。頂上にたどり着くと、どこからかアザーンが鳴り響き、それが合図であるかのように、突如、視界が開ける。眼下には、白いメディナが静かに広がっている。ひしめき合う家々が織りなす圧倒的な光景を前に立ちつくす主人公は、日が暮れ、闇に包まれてもそこを動けない……。
映画では舞台はタンジェとなっているが、実際のロケ地は、ここティトゥアンである。3年前はそのことを知らなかったぼくは、せっかくこの街を訪れたにもかかわらず、日が沈むずっと前にシャウエンに戻ってしまったのである。今回こそ、ティトゥアンに泊まってやろう。日が暮れる頃、アザーンの響きをバックに丘を登り、白い街を見下ろしながら、モロッコで出会ったシーンをひとつひとつ回想し、次なる彼の地であるサウダーデの国に思いを馳せるのだ……。自分なりに完璧なプランのつもりだった。しかし、どうやらその実現はまたまた先延ばしになりそうだ。頭の中は、今日思いついたより魅力的な「プランB」のことでいっぱいになっていたからだ。
「バンバン」と車体を叩く音で、我に返った。あわてて窓から外を見下ろすと、一人の男がこちらを見上げている。男は片手を挙げ、指を4本立てたかと思うと、あっという間にどこかに去っていった。あっけにとられていたが、やがてその意味するところを理解した。停車時間が40分ということか。そういえば、前回の旅でも、シャウエンからタンジェに向かう途中、この薄暗いターミナルで30分以上も待たされ、早くヨーロッパに渡りたいぼくをイライラさせたことを思い出した。いまの男が誰かは知らないが、謎が解けたことよりも、ぼくにちゃんと教えてくれたことがうれしかった。モロッコでは、往々にしてこういう意外な親切を受けることがある。とはいえ、40分という時間はどうにも中途半端である。モロッコの旅の最後を飾る街がここではなくなってしまったいま、おとなしくこのまま車内で出発を待つほうがいいだろう。
12時20分。バスは出発。到着が11時40分だったから、ちょうど40分。男が示した通りであった。
ティトゥアンを発って数キロも走ると、再び丘陵地帯に入った。アップダウンがますます激しくなったが、オンボロバスはエンジンをガーガー言わせながらもそれなりに快調に走っている。左手にはリフ山脈がどこまでも続いている。あの山腹に白い塊が見えたら、そこが今日の目的地である。
1時間半ほど走っただろうか、前方左手に2つの山が現れ、そのすそ野に張りついてる白い家々が目に入ってきた。最後にひときわ厳しい坂を上り終えると、バスはその街のふもとに停車した。地元の人たちと数人のバックパッカーに混じってバスを降りた。高原独特の爽やかな空気と透明な日差し。白地に青の家々。再び来てしまった。青と白の街、シャウエンに。
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Chaouen: 2/14  |
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