[HOME] [TRAVELS] [INDONESIA]
8. 朝霧のボロブドゥール

 
5時45分、アラームの電子音で目が覚めた。すぐにベッドから起きあがり、カーテンを開ける。すでに空はだいぶ明るくなっていた。しまった、アラームのセット時間が遅かったのか! 慌てて服を着替えてホテルを飛び出した。白人の観光客が参道を歩いているのが遠くに見えた。ジョグジャカルタからバスツアーでやってきたのだろうか。彼らに遅れまいと、早足でホテルの敷地を横切って参道に出た。正面を見上げると、昨日登ったボロブドゥールが、深い朝霧に包まれて、ひっそりとおぼろげにたたずんでいた。
 
立ちこめている朝霧はかなり深い。ボロブドゥールの頂上のストゥーパさえもはっきり認められないほどだ。この深い霧の中では、あの頂上に登っても朝日は拝めそうもない。半ばあきらめつつも、一縷の望みをかけて、まっすぐに延びる石段をいっきに駆け上がった。頂上にたどり着くと、エイヤっと振り返って東の空を見つめた。深く立ち込めている霧のはるか彼方に、今しがた昇ったばかりの太陽が、薄白く、おぼろげに輝いていた。

深い霧に包まれ、ストゥーパ以外は何も見えない

アンコールワットで見た鮮やかな朝焼けと真っ赤な太陽を当然のごとく期待していたので、この薄ぼんやりした光景を目の前に、失望を隠せなかった。ここから眺める朝日こそボロブドゥールの旅のハイライトだと楽しみにしていたのに。が、そんな失望も、白くて深い霧に包まれ、幾重にも並び立つストゥーパに囲まれた状態に置かれているうちにだんだんと消え去り、彼方に霧散していくのを感じた。静寂さと神秘さを演出するこの朝霧こそ、仏教の聖地ボロブドゥールの夜明けにふさわしいのかもしれないな、と。

日が高くなるにつれ、その霧も少しずつ晴れていった。それにともなって、眼下に広がる樹海と、その向こうにそびえる山々が、その全貌を徐々に現し始めた。

遠くで煙を上げている山が見えてきた。あれはなんという山なのだろう? 一方、南に目を向けると、切り立った山々の中腹で、細長い雲が静かにたなびいている。

仏教の聖地にふさわしい穏やかな心洗われる風景が広がっていた。無明の世界が消え去り、光り輝く仏の世界がこの世に現れた、といったら大げさだろうか。


陽が昇るにつれて霧は引いてゆく。 やがて、密林のむこうに山々が見えてきた

朝のボロブドゥールは、「静寂」と「無常」が支配していた。こうして静かに、刻々と様相を変える山々や木々や雲を見ているうちに、やはりここは「選ばれた地」なのだ確信した。ボロブドゥールが何の目的で建てられたのかは知らないけれど、当時の王朝が、ここを建立の地と定めた理由が理解できるような気がした。
 
気がつくと、霧はすっかり消えている。眼下に広がる樹海の緑が、朝陽を浴びてひときわ鮮やかに映えている。サンライズは拝めなかったが、ボロブドゥールの真の姿を、朝霧の中で少しだけかいま見ることができたような気がした。それにしても、強烈な陽射しだ。すでにジリジリと全身を焦がし始めている。太陽を避けるようにホテルに戻った。
 
朝食をすませると、ホテルに付属のオーディオビジュアルセンターでボロブドゥールの解説映画を観た。宿泊者は無料で観ることができるのだ。観客は僕ひとりだけだったので、日本語版をリクエストする。映画の解説は、期待以上に詳しくていねいだった。有名なレリーフについては、復元図をきちんと示してくれた。おかげで、「あ、昨日見たあのレリーフはこういう場面を描いたものだったんだ」と理解することができたし、新たな発見もあった。
 
上映が終わると、もう一度レリーフを見たくなってきた。昨日、いかにあやふやにしかレリーフを見ていなかったかに気がついたのだ。チェックアウトまでにはまだ時間があった。それに、「マノハラ」の宿泊者はボロブドゥールに自由に入場できる。新たに本日分の入場券を買う必要がない。急いでホテルを出ると、参道を進み、再びボロブドゥールの前に立った。昨日と同じように回廊を巡り、釈迦の一生を描いたレリーフを丹念に眺めた。映画を観たおかげで、崩れかけたレリーフが語りかけてくる物語をいくらかは胸にしまい込めた気がした。

最後に、ストゥーパが並び立つ円壇の頂上に立った。霧はすっかり晴れ、朝らしい澄み切った眺望が広がっていた。雄大な眺めをしばらく味わったのち、昨日触ることができなくて心残りだった「幸福の仏像」に近寄った。時間が早いせいか、昨日のように大勢の観光客が群がっていることもなく、他のストゥーパと変わらぬ姿で、いたって普通にそこに存在していた。格子の隙間から、腕を思いっきり伸ばしてみる。入れた場所が良かったのか、ついに、お釈迦様の指に触れることができた。もう思い残すことはない。
 
最後にもう一度、頂上からこの壮大な光景を眺めた。ここはいわば、俗世から切り離された天上の世界。俗世に生きる人間は、ここに長くとどまることは許されない。至福の瞬間を味わったら、すぐにまた地上の世界に下りて、自分の仕事に戻らなければならない。昔から多くの巡礼者が、そのようにここに来ては、去っていったのだろう・・・。僕は巡礼者ではなく、ただの観光客に過ぎないが、それでも、ここに長くとどまってはいけないような気がしてきた。それに、チェックアウトの時間も迫っている。もう一度このパノラマを見渡すと、天上の世界から俗なる世へと下りていった。

 
 
<<                インドネシア編トップ                >>