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旧市街の中心というロケーションを売りにするホテルの屋上に立っていた。
憧れ続けていたケーキのような日干し煉瓦の家並みが、まさに今、目の前に広がっている。
サナアに着いてからというもの、気泡のように浮かび上がろうとするのを無意識に押さえつけていた第一印象が、そのとき指の間をすり抜けて、ついに言葉として顕在化してしまった。
「意外とたいしたことないなあ」
伝統的な家並みが見渡す限り広がっているのかと思いきや、遠くには新市街の近代的な建物が見え隠れしている。「中世そのまま」という、旅行前に思い描いていたイメージとは隔たりがあった。さらには、曇りというメリハリのない天気。知り合ったばかりの男に案内されていることの居心地の悪さと不自由さも、空だけじゃなく気分に、そして第一印象に翳りを落としている原因だった。
数時間前、タハリール広場でタクシーを降りたぼくは、お目当てのホテルをキョロキョロ探していた。ちょうどそのとき、どうしたのですかと声をかけてきてくれたのが、今かたわらにいる男だった。理由を話すと、男は快く目的のホテルまでぼくを連れていってくれた。それだけではなく、昼食にサルタをごちそうしよう、そして旧市街を案内してあげよう、という。その後、うちのオフィスに寄ってツアーのことを話し合わないか、と。
旅行代理店の人間と知って警戒心が湧いてきた。声をかけてきたタイミングがよすぎたのもそのためか。だいたい、ツアーに参加するかどうかなんて到着早々決められやしない。なにより、案内はありがたいのだが、迷宮都市サナアには単独で挑んでみたい。
「なにをそんなに警戒しているのですか? 本当に無料で案内してあげますよ」
ぼくの警戒心を読み取ったかのような彼の言葉に、答えを探しあぐねていた。他のイスラム国だったら、にべもなく申し出を断っていたに違いない。しかし、人が親切だと評判のサナアで、到着早々、目の前の男をどう判定すればいいのだろう。
結局、彼の強い誘いに折れる形で、ぼくは彼と行動を共にすることにした。ホテルの近くの食堂でサルタをごちそうになったあと、いっしょに旧市街へと向かった。いいヤツなのかもしれないな。そう認め、安心しつつも、気の進まなさが残っていた。しばらく歩くと一段低い谷間を走っている道路とぶつかった。その上にかかる橋を渡る。ここから先が、いよいよ旧市街らしい。
左右にそびえる古い建物を、ただぼうぜんと見上げながら進む。自分がサナアを歩いてること自体、まだ信じられない。流れるシーンに感情がついていかず、感慨が湧いてくるひまもない。男に従って狭い路地を何度も折れると、とあるホテルの前に出た。フロントにお金を払い、らせん階段を上る。息が切れそうになったとき、屋上に出た。それが、ここだった。
屋上から四方を見渡し続けていた。胸の中に浮かんでいるさえない第一印象をどうやって打ち消せばいいのか、どうやったらプラスへとひっくり返せるのか、あるいは、そのまま受け入れるほかないのか。自分でもよくわからなかった。ひとつ言えるのは、自分なりの旅の経験則から、当初は期待はずれと思われた場所であっても、2日、3日と見て回っているうちに、勝手に妄想していたイメージの呪縛から解き放たれ、次第にその場所本来の魅力を見いだしていき、改めて深く強く惹かれていくこともまた多いということだった。たとえば、同じ世界遺産でいうならば、アンコールワットがその典型だったし、ヨルダンのペトラもその一例だった。どちらも、当初は旅行前のイメージとのギャップに、あれ、と軽く失望を覚えたのだが、最終的には「やっぱりすごかった」と興奮冷めやらぬままに帰国し、「また訪れたい彼の地」になった。実際、アンコールワットはそれから数年後にまた訪れ、それでも物足りない、また行かなくてはと思っているくらいだ。では、果たしてここはどうだろう? サナアは? イエメンは? これからの旅路で素晴らしい表情を見せてくれるのだろうか?
* * *
きっかけは、劇的な事件でもなければ、衝撃的な遭遇でもなかった。ほんの小さな出会いの重なりにこそあった。すれ違いざま交わした短い言葉。ふと耳に飛び込んできた旋律。思いがけない光のドラマと闇のいたずら。見知らぬ人の好意と親切。投げかけられた笑顔。エメラルドグリーンの海。真っ赤なサンセット……。
ぱっとしない第一印象を持ったぼくが、いったいどんなふうにサナアを、ひいてはイエメンを好きになっていったのか。そのきっかけとなったささやかな出会い、光景、想い。いまだ脳裏に焼きついて離れないそれらの断片を、これから少しずつ綴っていきたい。 |
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Sanaa: 1/22  |
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