「ついでに出国申請書を書いてやろう」と代理店のオヤジ。やけに親切だなと思っていたら、書き上げたとたん、チップとして10ユーロも要求してきた。おいおい、いくらなんでもそれは高すぎるだろう。そう交渉したものの、少なからぬお金を渡す羽目に陥ってしまった。腹立たしい気分で店を出た。
手元に残っているディラハムをユーロに両替しようと思ったが、出航まで時間がない。すぐに出国ゲートに向かった。心配していた出国手続きはいたってスムーズ。係員が手伝ってくれたからだ。なんだかイヤな予感が走る。案の定、最後にチップを要求してきた。露骨なマネー連続攻撃。心底イヤケがさした。「アフリカの玄関口、タンジェ。噂どおりタダでは通してくれない街だったぜ」などと平静を装ってつぶやいてみたものの、腹立ちはいっこうに収まらない。心地よい余韻を残してこの国を後にしたかっただけに、今の感情が自分でも残念でならなかった。が、これこそモロッコ。こんな終わり方こそ、モロッコの旅にふさわしいのかもしれない。
フェリーに乗り込んだとたん、目を瞠ってしまった。内装もシートの座り心地も、モロッコで利用したどの乗り物より上等だった。
「ここはもうヨーロッパなのだ……」
最後の最後でイヤな思いをさせられたが、静かな船室で、ゆったりとしたシートに倒れ込んで目を閉じると、それもどこか遠い別世界の物語のように感じられてきた。
計算外だったのは、デッキに出られないことだった。地中海と大西洋を吹き交う爽やかな風を浴びながら、一人デッキの手すりにもたれ、遠ざかりゆくアフリカ大陸にそっと別れを告げる……。せっかくそんな感傷的なシーンを思い描いて楽しみにしていたのだが、冷房の効いたシートに沈み込みんでコーラを飲んでいる間に、フェリーはそそくさと出航してしまっていた。これじゃあまったくドラマにならない。普通のフェリーだったらデッキに出られたのだろうか。悔しい。
たいした旅情にひたる暇もなく、1時間ちょっとの航海を経て、対岸のアルヘシラスにゆっくりと接岸した。
入国はあっけないほど簡単に済んでしまった。パスポートもチェックしない。こんな寛大でいいのか。
入国ゲートを通り抜け、建物の外に出た。
驚くほどの静けさ。しばし茫然自失。
目の前にタクシーが数台客待ちしているが、誰も声をかけてこない。モロッコのターミナルでは考えられない状況だ。
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