闘技場の南北には、道がまっすぐに延びている。一方はスースへ。他方はスファックスへ。
チュニスからタタウィンに向かう途中、食堂前の道からこの闘技場を眺めたことを思い出した。あのときかすかに見えた闘技場から、いまはその道を見下ろしている。ほんの数日前の出来事なのに妙に懐かしい。
観客席から町を見回す限り、往時の名残はまったく見あたらない。殺し合いに熱狂の声を上げていた大観衆はいずこかへ消え、この競技場だけが置きみやげのようにぽつりと残された。かつては娯楽施設、悲劇の舞台、そして現在では貴重な観光資源として、この闘技場は1500年以上もこの町を支えている。
歴史に話を戻そう。カヒナ女王の死後もベルベルによる反乱は続くが、そのつどアラブ王朝に鎮圧されてしまう。だが200年後、あるベルベル部族の手によって、強大な王朝が誕生する。有名なファーティマ朝である。ファーティマ朝は、軍事的な理由によりケロアンから地中海沿いの土地へと都を移し、その地をマハディアと名付けた。ケロアンからエルジェムを訪れた僕も、これからその古都マハディアに向かう。 |