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メディナの中心部を過ぎ、なおも奥へ進む。しばらく歩くと、海岸線に沿って伸びる道にぶつかった。待ちに待った青い海だ。ちょうど海岸沿いに一軒のカフェが見えた。地中海を間近に見下ろせる絶好のロケーション。さっそく入ってみると、屋外に置かれたテーブルのすぐ向こうに、噂にたがわぬ紺青の海が。その青さは凄みすら感じさせ、間近に見つめると恐くなってしまうほど。

マハディアのメディナは、縦長く突き出た岬にすっぽり収まるように形成されている。三方を海で囲まれているので、残りの一方を城壁で固めれば、侵略者に対する防御は完璧である。ファーティマ朝がこの地を都に選んだのはそのためだった。

ファーティマ朝は、ベルベルのクタマ族に支持されたイスマーイール派(シーア派の分派)が、909年に時のアグラブ朝を倒して成立した王朝である。創始者ウバイド・アッラーフは、預言者ムハンマドの娘ファーティマの血統を引くと主張し、彼女の名をそのまま王朝名とした。ちなみに、イスラムで魔よけの効果があるとされ、とびらに飾られる「ファティマの手」も、このファーティマという開祖の娘の名前が起源である。

またウバイド・アッラーフは、大胆にも自らマフディー(救世主)であると宣言し、バグダードに都を置く本家アッバース朝に対抗してカリフを名乗った。彼は天然の要塞であるこの地に新都を建設し、自らの称号にちなんでマハディアという名を付けた。新しい都を築いたファーティマ朝は、外征に発つ。エジプトに進出し、新しい都カイロを建設したことは有名。さらには、西はモロッコから東は紅海、シリアまでを支配する強大な王朝となる。

その出発点は、マハディアのこのディープブルーの海にある。
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