
|
アクロポリスは、壮大な廃墟だった。
地図の上では、A、B、C、D、Oという五つの神殿が存在するはずなのだが、こうして歩いてみると、どれがどれだか、まったく区別がつかない。C神殿の列柱群だけは見分けがつくが、修復のための足場が組まれていて見栄えがしない。海をバックにしたこの神殿が一番の見所と期待していただけに、この姿には正直がっかりした。
紀元前5世紀末、セリヌンテはセジェスタを攻めたが、これが自身の運命の暗転を招いてしまった。セジェスタはアテネを頼り、アテネが負けると、今度はアテネの宿敵カルタゴを頼った。さかのぼること数十年前、ヒラメの戦いにおいて、アグリジェントとシラクーザを中心とするギリシャ植民都市連合軍に惨敗を喫したカルタゴは、これを機に冷酷な復讐戦に打って出る。カルタゴ軍に攻め込まれたセリヌンテはなすすべもなく陥落し、多くの住民が虐殺された。それでもなお、カルタゴ領として生きながらえていたセリヌンテであったが、約150年後のポエニ戦争で、宗主カルタゴがローマに敗れたため、セリヌンテはローマ軍によって破壊しつくされ、廃墟に帰してしまった。
「文明の十字路」シチリアのそのまた中心に位置するセリヌンテ。目の前に広がる廃墟が、その明白な証拠。そう考えると、修復が進んでいないのもしかたがないことなのだろう。
眼下の海岸線に沿って東進すれば、かつての同盟都市アグリジェント、さらにはシラクーザにたどり着く。セリヌンテを落としたカルタゴが、次に狙いを定めて進軍していった都市だ。もちろんぼくも、この二つの都市は訪れる予定でいる。だがその前に、明日からは気分を変えて、ギリシア・ローマの時代から離れ、再びノルマン・アラブの雰囲気を味わうつもりでいた。目的地は、シチリアの州都パレルモである。
|