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再び、狭い階段をぐるぐる下って、塔の出入り口にたどり着いた。驚いたことに、いつの間にか長い行列ができていた。どうやら早く訪れたのは正解だったようだ。

カンポ広場を横切ると、狭い路地をそれらしき方向に進んでみる。











しばらく歩くと、たどり着いた。
白と黒の縞模様に見覚えがあった。
シエナの象徴、ドゥオモである。ここが、次の宿題の地。

白と黒で統一されているのは、それがシエナのシンボルカラーであるためだという。そういえば、セリエAのシエナのユニフォームも、デザインはビアンコ・ネロ(白黒)だったっけ。









ここは無料だったはずなのに、なぜか前回の旅では中に入らず、通り過ぎてしまった。入場時間が過ぎていたのか、有料だと勘違いしたのか、いまとなっては、その理由をはっきりとは思い出せない。いずれにせよ、あとで後悔することとなった。











さっそく内部に入ってみる。
まず、縞模様の柱に圧倒される。
床一面に描かれている大理石の絵も壮観だ。

伝説によれば、シエナを建設したのは、狼に育てられ、のちにローマを建設した双子(ロムルスとレムス)のうちの、レムスの息子だという。このため、「狼の乳を飲むロムスとレムス」のシンボルはローマ同様、シエナでも大切にされ、この教会の床にも描かれている。






長きにわたり、フィレンツェと血なまぐさい争いを繰り広げ、覇を競っていたシエナ。一時はフィレンツェをもしのぐ勢いを誇ったこともあった。このドゥオモが建造されたのも、シエナが絶頂期を迎えていた13世紀のこと。広大な内部を歩いていると、その最盛期の栄光をまざまざと見せつけられているようにも感じる。





そんな栄光も長くは続かず、シエナはペストの流行などで衰えを見せ始める。逆にフィレンツェは、メディチ家の出現によって勢力を盛り返し、やがてはシエナを支配するようになっていく。






現在、シエナの人口は5万数千人ほど。数百年前の最盛期の人口にも及ばない。一方、フィレンツェの人口はおよそ50万人。シエナとは10倍近くもの差がある。中世には両都市の人口にそれほどの違いがあったとは思えないので、この差はそのまま、両都市の発展の差を表しているといえるかもしれない。

その代わり、昨日フィレンツェの駅前で見たようなすさんだ光景は、少なくともシエナの旧市街では見られない。町全体の景観美や、街歩きのしやすさという点では、ここシエナの方が勝っているという印象を受ける。

 
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