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翌朝、再びタクシーでメディナに向かった僕は、昨日と同じようにブー・ジュルード門をくぐった。
この門からは、ケビーラとセギーラという2本の通りがメディナの中心部に向かって延びている。昨日は右のセギーラ通りを歩いたので、今日は左のケビーラ通りを進むことにした。
平行に延びる2本の道は、やがてメディナの中心部付近で交わることになる。そのT字路の近くから、薄暗い小道が延びている。その小道の先にあるのが、ネジャーリン広場だ。広場に面してフォンドゥク(隊商宿)が建っている。その内部を見学した僕は、さらにメディナの奥へと進んだ。ここから先はいっそう路地がゴチャゴチャと入り組んでいそうだ。
頭上に渡してある横棒をくぐり抜け、薄暗い道を進むと、ムーレイイドリース廟に出た。モロッコ初のイスラム王朝を興したイドリースの息子、イドリース二世の廟だ。
ボリュビリスでイスラム王朝を開いたイドリースは、フェスを新都に定めた。その新都を完成させたのが、この廟に眠っているイドリース2世だ。イドリース朝はその後まもなく滅びるが、フェスは以後現在まで1000年にわたって、政治、文化、経済の中心地として栄えることになる。
この廟は異教徒は入場禁止なので、入口からちらりと内部をのぞいただけだった。
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