大きい荷物さえ置いてしまえば、エリチェの町はブラブラ歩きにちょうどよい大きさだった。さきほど上ってきた坂道を戻るように歩き出した。トラーパニ門の手前を右に折れると、目的の建物が目の前にそびえ立っていた。「これぞ中世」と言いたくなるような重厚な造りのドゥオモと鐘楼。14世紀ごろ、ときのノルマン王朝によって建てられたものだ。
「文明の十字路」と呼ばれるシチリアの歴史はきわめて重層的で、いくつもの民族が支配者として現れては消えていった。ものの本をひもといてみても、登場する民族の多さといったらなく、混乱して途中で放り出したくなるほど。
おおざっぱに言えば、いまある都市の基盤を築いたのは、ビザンチン帝国に代わって9世紀からシチリアを支配したイスラム王朝であり、その基盤の上に、今も残る有名な建造物を築いたのは、続いてこの地を征服したノルマン王朝である。
この鐘楼も、よく見ればマグレブ独特の角形ミナレットにとてもよく似ている。昨日まで旅していたチュニジアとの関連を、一本の線としてたどることができたような気がしてうれしくなった。 |